バロック音楽とそのスタイルの起源
バロック様式は、アンニーバレ・カラッチやカラヴァッジョなどのイタリアの画家たちに端を発したと考えられています。カラヴァッジョは、居酒屋や通りなどの日常の環境に宗教的なシーンを描くことに加え、ドラマチックな明暗のコントラストで実験をしました。バロック期の画家アルテミジア・ジェンティレスキは、今では最も熟練したイタリアのバロック期の画家の一人として認知されています。彼女の卓越した技術は、カラヴァッジョスタイルのものです。同時期のオランダでは、ピーテル・パウル・ルーベンスと彼の同僚たちが、イタリア絵画と同様の技術と光の魅力を用いながら、純粋に宗教的な絵画からより国内的な傾向のものへと移行していきました。
バロック彫刻の世界では、一連の彫像がダイナミックなエネルギーや動きを見せます。イタリアの偉大な芸術家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの作品は、その数年前からいち早く最高の座に君臨していた静観的なルネッサンス様式のドラマチックな対応物として独占的でした。彼の彫刻は、より高度な動きと抑制されていない暴力的な感情を特徴としています。
バロック建築は、内部と外部の間の動きと流動性、複雑なドームと湾曲した壁の外観を重視するものでした。それは当初は、驚きと畏怖の念を呼び起こした新たな建築様式で、宗教改革とプロテスタント教会と戦うための手段としてカトリック教会のイエズス会によって採用されました。
この時期に、バロック文学はいくつかの代表的な作品を生み出しました。スペインのミゲル・デ・セルバンテスの傑作ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャは、バロックの正反対である完璧な例として挙げられ、それはすべての芸術の主要な美的理想です。これは、精神的で理想主義者のドン・キホーテとは全く対照的である主人公サンチョの、地に足の付いた現実的な性格を通して小説の中で示されています。
バロック音楽というジャンルの出現
バロック音楽の分野では、16世紀後半にイタリアのいくつかの都市でこの時代が始まりました。政治的独立と経済的多様性のおかげで、これらの都市は、パレストリーナとディ・ラッソの作品で切り拓かれた後期ルネサンスの古典的な理想からは大きく逸脱した、いくつかのユニークで個人的な音楽スタイルを発展させました。これらの都市の中でも最も言及に値する二つの都市は、文化と政治の中心地であるヴェネツィアとフィレンツェです。
ヴェネツィアでは、聖マルコ教会がジョヴァンニ・ガブリエリのポリコラル音楽を発展させるための地理的な環境として機能していました。このスタイルは、声楽と器楽を備えた、空間的にいくつかに分けられた合唱団を擁するという原則に基づいたものでした。これは、同時に演奏する場合、後期ルネッサンス期の複雑な模倣的ポリフォニーの理想からは概念が大きく異なる、より単純なホモリズミックな和音の感触を必要としていました。
同じ時期のフィレンツェでは、フィレンツェのカメラータとして知られる知識人、人文主義者、芸術家らのグループが、言葉と音楽が一つになりながら、ルネッサンスのマドリガーレとは異なる形で古典ギリシャ演劇の理想を模倣しようとしました。音楽的な設定は、テキストの自然な話し言葉の抑揚を妨げてはならず、単語は可能な限り明確に表現されるべきとされます。この新たな音楽の概念に付随する形で、ルネッサンスのモテットとマドリガーレの持つ複雑な対位法の性質には適していなかったので、テキストに干渉しない楽器によって作られた単純な和音の感触に取って代えられました。こうした発展は、モノディと呼ばれる新たな歌唱スタイルを生み出し、おそらくバロック音楽時代で最も重要な革新となりました。
バロックオペラ音楽の誕生
17世紀初頭頃、この時代に誕生した最も重要な音楽ジャンルはバロックオペラでした。一言で言えば、このジャンルは本質的にバロック音楽の演劇であり、その全編にわたって歌で構成されています。フィレンツェのカメラータの革新をモノディに取り入れることで、長編音楽演劇の舞台に合った声楽スタイルが歴史上初めて編み出され、そうして初めてのオペラが制作されました。この期間に、バロック音楽時代の最初の記念碑的な人物である、かの偉大なクラウディオ・モンテヴェルディが成熟を果たしていました。すでにフィレンツェでは、フルの長さのオペラを制作するいくつかの試みは行われていましたが、モンテヴェルディはギリシャ神話のオルフェウスに基づいた台本(テキスト)を設定とした歴史上最初の偉大なるオペラを作曲したと言われています。「オルフェオ」は、モノディに基づいた二つの異なる声楽スタイルである、楽器の伴奏を伴うレチタティーヴォとアリアを切り拓きました。レチタティーヴォのスタイルは、実際の話し言葉による朗読に非常によく似ていて、物語を前に進めるために登場人物たちの間の会話と長いテキストのセクションを提示するために最も役に立ちます。それとは対照的に、アリアは演劇のドラマチックな一人語りに非常に似ていて、演者は、その魂に影響を及ぼした物語中の出来事についての感情と内省を表現します。
フランスでは、17世紀の最後の10年間にかけて、イタリア生まれのバロック音楽の作曲家であるジャン=バティスト・リュリが、レチタティーヴォとアリアのスタイルをフランス語の自然な変化とユニークな音楽性に適応させ、オペラ作品の国家的なスタイルを生み出しました。他の重要な国家的スタイルの中で私たちは、英国のバロック音楽の作曲家ジョン・ブロウとヘンリー・パーセルについて言及できます。17世紀の終わりまでに彼らは、英語で歌われる明確な英語スタイルのオペラを発展させ、フィレンツェのカメラータの理想を取り入れ、また流行りのフランス流の発展のいくつかを踏襲しました。
バロック音楽におけるオラトリオ
バロック音楽時代のもう一つの素晴らしい声楽ジャンルはオラトリオで、オペラとは対照的に、常に宗教的な主題を取り上げています。それでも、これらの二つのジャンルには多くの共通点があります。最も重要なのは、テキストの朗読にレチタティーヴォとアリアの両方のスタイルの歌唱を用いる点です。この時期に、多くの作曲家たちが数百にも及ぶオラトリオを書きましたが、ドイツ生まれの作曲家ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルほどのレベルに到達した作曲家はおそらくいません。彼の大きく成功したその音楽キャリアは主にイギリスで発展を遂げ、彼はそこで、変化する当時の経済、つまり大衆の好みに適応したのでした。イタリアのオペラ作曲家としてキャリアを始めたヘンデルでしたが、後からより需要のあるオラトリオのジャンルへと変化を加えました。両方のジャンルにおいての彼の努力は、彼を舞台音楽の歴史の重要人物として、そして作曲家としての永久なる孤高の地位を確立しました。
バロック音楽とバロック時代へのバッハの影響
おそらく、史上最も影響力のあるバロック音楽の作曲家兼音楽家といえるヨハン・セバスチャン・バッハは、200を超えるルーテル派カンタータの巨大な集成を作り出すために休むことなく働き続けていました。これは、バロック音楽時代におけるもう一つの重要な声楽ジャンルで、コラールやソロ曲などルーテル派の儀式における古典的な要素を取り入れつつ、イタリアに起源を持つレチタティーヴォやアリアのスタイルなどの斬新な展開を持つものも含まれていました。
バッハは、1685年にドイツ中部の町アイゼナハで、名高い音楽家の家族に生まれました。 彼の生涯の働きは音楽とルーテル教会に捧げられ、彼はその敬虔な信徒であり奉仕者でした。大成功を収めた4人の音楽家の息子たちが彼の後を継ぎ、古典派時代への移行期の主要な作曲家となりました。バッハは、この時代の他の作曲家である、息子カール・フィリップ・エマニュエルの名付け親となったゲオルク・フィリップ・テレマン、またディートリヒ・ブクステフーデと友好関係を築きました。ブクステフーデは有名な作曲家兼オルガン奏者で、その巨匠ぶりと前向きな才能から、バッハは322キロも歩いて彼に会いに行き、最終的には彼と共に演奏も果たしたのでした。バッハの影響力は非常に広範囲に及ぶものであるため、美術の歴史家たちは一般に、バロック時代の終わりを引き起こしたとして、1750年の彼の死を重大な出来事として認めています。
バロック時代の遺した遺産
バロック時代の大きな成果の一つは、器楽音楽による音楽表現の真剣かつ独立した重要な手段としての確立でした。主要なバロック音楽の作曲家の多くは、孤高のレベルへと達し、いくつかの楽器のスタンダードのレパートリーとなった作品を制作しました。その前の歴史の時代において、一部の作曲家たちによりすでに器楽音楽の発展が始められており、ジョン・ダウランドのリュート歌曲においてのように、楽器は主に人間の歌声の伴奏として機能していました。
バロック音楽時代には、楽器のジャンルとスタイルにいくつかの大きな変化が加えられました。これは、楽器の構造面での技術開発と、競争し合う中で楽器に出来ることの限界を押し広げた偉大なる巨匠たちの出現の両方によってもたらされたものでした。こうした競争の有名なエピソードは、18世紀初頭のドメニコ・スカルラッティとヘンデルの貴重な出会いでした。この二人の作曲家は、友好的な音楽コンクールを行い、スカルラッティはチェンバロで、そしてヘンデルはオルガンで勝利を収めたのでした。
この時代における社会の変化と公共のコンサートの台頭により、リュートの人気は下火になり、チェンバロとオルガンに取って代えられ、作曲家たちの関心は鍵盤楽器へと転換されていきました。またこの時代には、いくつかの新たな楽器のジャンルが編み出され、大きく発展を遂げた時代でもありました。そのうち最も重要なものの中には、前奏曲、コラール前奏曲、フーガ、トッカータ、組曲、ソナタ、協奏曲、またコンチェルト・グロッソなどがありました。
三つのバロックのジャンルが、いくつかの新しくユニークな特徴の発展の上で特に重要なものとして挙げられます。バロックの独奏協奏曲は、オーケストラと一つのソロ楽器のための作品です。それはソロ奏者のために、対照的な聞こえ、異なるサウンドの密度、またドラマチックな技巧の聞こえの音節の効果を探求するための素晴らしい媒体を提供し、これらは一般の人々とバロックの美学のどちらにとっても魅力的なものでした。同時に、協奏曲のもう一つの変種であるバロックのコンチェルト・グロッソが発展しました。この形式もオーケストラを特徴としたものでしたが、個々のソリストの代わりに、ユニットとして機能するソロ楽器の小グループもしくはアンサンブルを特徴としていました。
最後になりましたが、言い忘れてはいけないのが、バロック時代には楽器の室内楽の領域にも大きな変化が見られたということです。これには、ソロ楽器と鍵盤用のソナタの発明が含まれ、これらは19世紀から20世紀の残りの期間を通じて主要なジャンルとなっていきます。トリオソナタは、二つのメロディーラインと、チェンバロなどのポリフォニック楽器で構成された「通奏低音」の伴奏、またベースラインと和声的なコンテンツをもたらすメロディアスなベース楽器を特徴としていました。
Calm Radioでバロック音楽を聴く
バロック時代は膨大な期間に及び、約150年もの年月、そしてさまざまな異なるスタイル、国、ジャンルの数千にも及ぶ作品が制作されました。このことから、多くの歴史家たちが、モンテヴェルディの「オルフェオ」やバッハの「聖マタイ受難曲」などの多種多様な流れを包括したものとしての「バロック」という用語の的確さのレベルに疑問を投げかけています。
Calm Radioでは私たちのリスナーの方々から、バロック音楽のチャンネルとバロックの作曲家たちの終わりのないリストをお気に入りいただいています。バロックチェンバロ、オルガン、リュート、ヴァイオリンまたチェロなどのチャンネル、そしてJSバッハ、ヘンデル、ブクステフーデ, クープラン、スカルラッティ、ヴィヴァルディなどの作曲家たちの、存在し得るすべてのバロック音楽がここで息をしています。
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