音楽の後ろにいる人々

かつての、そして未来のアルモニカ

By Steve Meixell

ガラス製のアルモニカは半分空なのでしょうか、それとも半分いっぱいなのでしょうか?2世紀の間に渡って、音楽の歴史はこの問題に葉っぱをかけ続けていました。この楽器はクラシック音楽の時代に生まれ、栄え、衰退し、事実上姿を消し、そして最近になってからその美しい音色で復活が見られました。

1761年にガラス製のアルモニカを発明したベンジャミン・フランクリンにとって、この楽器の盛衰は衝撃中の衝撃となるでしょう。モーツァルト、ベートーヴェン、ハイドン、そしてサリエリによってこの楽器でいくつかの作品が作られました。多くの人々は、この楽器がハープシコードやフォルテピアノを食い物にすることになると感じていました。しかし、静かな空気のような音をしていたので、近いうちに訪れるであろう大きなホールでの演奏で十分な反響を生み出すことはできないのでした。それから奇妙なうわさによる問題も現れました。ガラスアルモニカの演奏が人々を狂わせ、また奇妙な病気、けいれん、または衰弱を引き起こしたと噂されていたのです。たしかに音響上の問題はこの楽器の成功を制限していましたが、健康上のゴシップはこの楽器の成功を完全に阻止するのに十分なものでした。

この平和で天国的な音楽は、あなたが自分が死んだのではないかと錯覚するほど素晴らしい

その時までは、誰もがそう思っていました - ガラスのアルモニカは、天使のような、輝かしく、リラックスした天国の聖歌隊からの音のような有頂天な音楽でした。ベン・フランクリンがロンドンの領事館(彼がその楽器を作った場所)から彼の新しい発明を家に持ち帰った時、彼は妻デボラが下の階で午後の昼寝を取っている間に屋根裏部屋にそれをセットアップしました。彼が演奏を始めたときに彼女は目を覚まし、またその瞬間に、彼女は自分の周りに響く聴いたことのない天国の音を聴いたので、自分が眠りについた後にそのまま死んでしまったのだと本気で思ったのでした。

ベンジャミン・フランクリンと彼のガラス製アルモニカ
ベンジャミン・フランクリンと彼のガラス製アルモニカ

フランクリンは、自然の中の様々な力(電光、海流、光の波、またはある方法でこすると音を出す水の入ったガラス)を使い、エネルギーを制御し強化するために実用的なデザインを使ってその力を活かす達人でした。「ガラス遊び」は、人気がありながらも不正確で比較的面倒な娯楽となっていました。色々な音程を生み出すために正確な量の水で複数の容器を満たすのは面倒で、異なる設定ごとに細心の注意を払ってそのプロセスを繰り返す必要がありました。フランクリンはその可能性を広げながらもそのプロセスを合理化しました。

彼はサイズに応じて段階的に連動するガラスを形成し(こすったときに正確な音程を作り出すために正確に吹かれ、内部の水が不要になるように)、またそれらをフットペダルにより回転する水平ロッド上に同心円状に配置し、持続時間を制御するダンパーを追加し、その装置を楽器ケースに入れました。指先を濡らした後、回転するガラスの表面にさまざまな角度で繊細に触れることができます。その結果生じる振動が華麗なベルのようなハーモニーを作り出しました。一度に一つか二つのガラスを演奏する代わりに、演奏者は一度に十個までの音を使って和音を演奏することができます。演奏者はキーボード楽器の演奏のように楽器の前に座っていました。

人々はこの新しい音を愛していました - それはイギリス、フランス、そしてドイツでも流行しました。ベン・フランクリンはもともと彼の発明を「グラッシーコード」と呼んでいましたが、その代わりにハーモニーを表す言葉のためにイタリア語からの言葉である「アルモニカ」を使うことにしました。

1761年から19世紀初頭にかけて、ガラス製アーモニカは全盛期を迎えました。それは人々の集まる夕食後の娯楽としてよく使われていました。モーツァルトはこの楽器のための彼の二つ目の作品である、ソロアルモニカのためのアダージョを書きました。マリー・アントワネットもこの曲のレッスンを受けたのでした。ジョージ・ワシントンは、1765年に植民地時代のウィリアムズバーグのブルトン教区教会でのその曲の演奏を聴きました。聴いた人々は、その神聖な幻想さに触発され、慰められているような感覚を覚えたのでした。

それらの噂は始まったのはそれからのことでした。何人かの演奏者がめまい、一種の精神的な不安定、そして耳鳴りを報告したのでした。(研究者たちはそれ以来、人間の耳が音の出所を感知できない範囲でアルモニカ特有のガラス振動音符を1000ヘルツから4000ヘルツの間で発見しており、これがなんらかの見当識障害の原因となっている可能性があると考えています。)しかし、健康問題の本当の原因は、18世紀の結晶の鉛の含有量からくると思われます。それはなんと最高で40%までで、それが何らかの中毒を引き起こしていたのでした。

最も有名なガラスアルモニカの巨匠であるマリアンヌ・キルヒゲスナーという盲目の若い女性は、ヨーク公爵、ゲーテ、デンマーク王を含む熱狂的な観客のためにヨーロッパ中を10年間に渡って周りました。その後、彼女は家に侵入をしてきたナポレオン軍の兵士によってに襲われ、その後精神的な問題を抱えるようになり、最後には冬の旅行の後の厄介な肺炎から、およそ39歳の若さで亡くなりました。しかし、彼女は世界で最も美しく「危険な」楽器を何年間にも渡って演奏した後に死んだのだ、という言葉が広まりました。ドイツの音楽学者フリードリヒ・ロクリッツはガラスアルモニカについて公的に警告しました。「あなたが何らかの神経障害に苦しんでいるならば、それを演奏するべきではありません。まだ病気でない場合にもそれを演奏するべきではありません。うつ気味の場合にも演奏するべきではありません。」また、コンサートの演奏の最中に、赤ん坊を抱えた母親がその子供が公演の間に死んだことを発見してから、状況はさらに暗くなりました。

ドイツの有名な医師であるフランツ・メスメル博士が動物の磁気や催眠術を研究する際、また死者との交霊(「催眠術をかける」という用語に関しては彼の功績に感謝することができます)を試みる際にガラスアルモニカを不気味なムード音楽として使用し始めてから、楽器のネガティブな悪循環は加速していきました。ガラスアルモニカの評判が「霊感を与え、天国へ、神へ」から「不気味で病的」へと変化したのは、彼が楽器をそのように使い、音を捻じ曲げたことによるものです。

それにもかかわらず、楽器の失墜の主な原因は機械的なものでした。ただただ音量が足りなかったのです。 1800年代の古典派とロマン派の時代には、交響曲やコンサートホールの規模は大きくなっていき、ガラスアルモニカの静かな共鳴を圧倒していきました。アルモニカの持つ平和的な音楽は見捨てられたのです。そしてピアノが王様になりました。

楽器は支持を失っただけでなく、文字通り美術館の中の一作品になりました。一世紀もの間、誰もそれを演奏する方法を思い出しもしませんでした。

生まれ変わったクラシック音楽の遺物

しかし、20世紀は新しい状況をもたらしました。オーディオ録音とマイクによる音の増幅が音楽の現場へと入ってきたのです。また、科学的および医学的研究が、健康が無鉛ガラスによって脅かされていないということを証明しました。大学では、音楽学は人気のある分野となり、クラシック音楽の真正性を強めるために「アンティーク」やオリジナルの楽器を呼び戻す動きでいっぱいになりました。そして映画とテレビの出現により、作曲家たちは新しい音楽効果を求めてあらゆる音でスクリーンのあちこちを埋め尽くすようになりました。これらすべての要因が、ガラス製アルモニカの復活の背景を物語っています。

それは小さな流れから始まったのでした。1919年に、リヒャルト・シュトラウスは「影のない女」(徐々に楽器は他のオペラでも、ドラマチックな場面を有効に伝えるために使用されるようになりました:危険、別世界からの霊、天からの導きや予言など)にアルモニカのパートを含めました。1929年から20世紀半ばにかけて、ブルーノ・ホフマンは「グラスハープ」として水でいっぱいのワイングラスを再導入したのでした。彼はそれをラジオ、蓄音機、またテレビで定期的に演奏しました。人々はそれらが生み出すリラックスしていて平和的な音楽に再び恋をしたのでした。

それからゲルハルト・フィンケンベイナーという名のドイツ人の若きガラス吹き工が、博物館で古いアルモニカをみつけました。すっかり虜になった彼はそれをいつか自分自身を作ると誓ったのでした。最初に彼はナチス時代を生き残らなければなりませんでした。戦後彼はフランスに移住し、そこで赤外線検出器用のガラスを吹きました。最終的に彼は、IBM、マサチューセッツ工科大学、およびレイセオンのようなクライアントのための科学的および工業用ガラスのデザインを専門とするためにマサチューセッツに移住しました。彼はクラシック音楽の愛好家であり、暇な時にはガラス製の鐘、チャイム、カリヨンを作りました。彼は仕事でさまざまな石英真空管の端をトリミングしていました。それらが若き日に美術館の展示で見たあのガラス製のアルモニカカップを思い出させたので、彼はそれらを保存していました。そして、自宅にてカップが正確なピッチで作られるように削って調整する方法を学びながら実験を始めました。

そうしてすぐに、彼は20世紀に向けて近代化されたベン・フランクリンの発明を彼自身のバージョンへと編集していきました。彼はスピンドルを回転させるために電気モーターを追加し、水晶の代わりとして溶融石英を選びました。音楽業界が段々とガラス製アルモニカを再評価し始め、マサチューセッツ州ウォルサムのゲルハルト・フィンケンベイナーの元へとその道が築かれました。彼は年間8〜10個の注文に応じて楽器の製作を始めました。

そしてほどなくすると、ウィリアム・ツァイトラーは西海岸でアルモニカを弾いていました。デニス・ジェームズはニューヨークのコーニングから始め、ラトガース大学で最初のガラス音楽研究プログラムを始めました。ディーン・ショスタクは、バージニア州のガラス製アーモニカの植民地時代、ケルト、または古典的な作品を演奏しました。トム・ウェイツは、 『スピン』誌で史上2番目に偉大なアルバムとして選ばれた、ソードフィッシュトロンボーンのリチャード・ギブスのアルモニカを特集しました。

そして話は、オンタリオ州トロントの作曲家のエリック・ハリーへと移ります。1970年代後半にボストンのバークリー音楽院の学生として、ハリーはジャズピアニストとして訓練中でした。彼は革新的な音楽、オーディオ技術、そして最新の音源の愛好家でもありました。バリエーションを模索する中で、彼はガラス楽器で実験的な試みをし、水で満たされたガラスの演奏に熟練しました。

卒業後、彼は映画の音楽スコアの世界に入りたいと思うようになり、その後ザトウクジラのIMAX映画のデモスコアを書くよう依頼されました。「水はクジラの音楽の良いテーマのように思えました。また私は水を奏でる方法をすでに知っていました。」とエリック・ハリーはつい最近明かしています。「私は、ガラス楽器用の12個の回転テーブルを備えた複雑なスタンドを作って、音を重ねて演奏できるようにしました。IMAXプロジェクトは上手くいきませんでしたが、今でもこの素晴らしいデモテープを持っています。それをジャック・ニッツェ(60年代のフィル・スペクターのアレンジャーを務め、ニッツェはザ・ローリング・ストーンズとニール・ヤングと協力し、「カッコーの巣の上」と「エクソシスト」のための音楽でアカデミー賞にノミネートされたフィルムスコアラーとなりました。)などのロサンゼルスの作曲家たちに送りました。」 ニッチェは2ページの手書きの手紙ですぐにハリーに返事をしました。

「私は10年以上もの間、誰かあなたと同じことをする人を探し続けてきました」とニッチェは書きました。「そうした演奏をする人はもちろんのこと、楽器を見つけることもできませんでした。そのため、非常に単純でゆっくりとしている以外の音楽を作ることは非常に限られていました。カッコーの巣以来、私はエクソシストとクルージングでもガラスを使ってきましたが、そこでもまた非常に限られた方法で…一度に一つのガラスを…クリックトラックに合わせて…私一人で演奏するのです。」

「私は常にグラス音楽が大好きでしたが、将来のプロジェクトでそれを使うことはほとんどあきらめていました…。そんな中、あなたのテープが届いたのです。グラス音楽を使う次の機会にはあなたに電話をかけます。単に音色のためだけではなく、それらが独特に聞こえるからというだけではなく、メインの楽器としてガラスを使うためです。」

ニッツェは彼の言葉に忠実でした。最初の映画プロジェクトは、ジェフ・ブリッジス主演の男の傷でした。 ニッチェはエリック・ハリーに彼のガラスの力を用いてスコアに強さを加えるように頼みました。映画製作者のクレジットとインターネットのチャタリングリストでエリックは「ガラスハーモニカ」の演奏者となっていましたが、彼は実際にはそれ以上に独創的な、水が入ったガラスの12台もの回転テーブルを演奏していました。セッションの後で、彼はさらに音を掘り下げたいと思っていました。

エリック・ハリーの男の傷のためのセッションの準備
エリック・ハリーの男の傷のためのセッションの準備

トロントに戻ってきたエリックはある晩、テレビ番組「信じるか信じないか!」の再放送に、ベン・フランクリンの古いガラス製アルモニカとそれを再び製作していたフィンケンベイナーという男性が出演しているのを観ました。エリックは翌日彼に電話をかけて自己紹介をしました。

「あー、あなたのことは知っています。」とフィンケンベイナーは言いました。「あなたはあれらの素晴らしい映画で演奏している人ですよね。」

エリックはフィンケンベイナーから彼の最初の小さなアルモニカを購入し、すぐに自分のニュアンスを習いました。間もなくして彼は作曲家ライ・クーダーに雇われ、オルガンのサム・サムジオ(サム・ザ・シャム)、ギターのジョン・ハイアット、アコーディオンのフラコ・ヒメネス、そしてドラムのジム・ケルトナーと共に、ロサンゼルスでジャック・ニコルソン主演の映画「ボーダー」のスコアリングを手伝いました。

規模は拡大しようとしていました。カナダで彼自身の成功した商業音楽の会社を創設している間、トロントダンスシアターのためにガラス楽器を強調したバレエ音楽のスコアを書くよう依頼されました。彼はフィンケンベイナーと連絡を取り合い、彼を招待し、ベン・フランクリンの発明の複雑さについてさらに学びました。

次のステップは?エリック・ハリーは、アルモニカを世界最大の66個のボールから構成し、音をC2からF7にまで増やすことにしました。「私はトロントのガラス吹き工レン・コーダカーと5年間一緒に仕事をしました」とエリックは言います。「今私は最終的なメカニズムを完成させようとしています。可変速度のサイレントDCモーターとそれを制御するペダルが必要です。回転速度は非常に重要です。低いボールでは遅く、楽器の高い位置になるほど速度も上がります。ボールを調整するには、リムを磨いてピッチを上げるかステムを磨いてピッチを下げることができます - 粉々に砕かれたボールを正しく弾くには、何よりもクォーツが最も純粋なサウンドを生み出します。シリカガラスはベンジャミン・フランクリンが使用した素材でした。人々の話によると、この新しいアルモニカは7フィートもの長さで、全く新しい音質と広いオクターブ範囲をもたらします。」

その中で、エリック・ハリーは他の分野でも多忙を極めました。彼は、リスト、デビュッシー、そしてショパン(特にレオポルド・ゴドフスキーのショパンのエチュードのアレンジ)にインスパイアされた彼自身のピアノ曲の8枚のCDを作曲、演奏、そして録音しました。彼の作品をより多くの人が利用できるようにするために、エリックは最初のiTunesでのストリームを開始しました。彼は自分の作品に他のアーティストやチャンネルを追加するにつれて、徐々にCalm Radioへと組み入れていくようになりました。PandoraやSpotifyに匹敵するようになったCalm Radioは、リスナーの職場環境、集中力、瞑想、睡眠、そして全体的なマインドフルネスの向上を目的とした400近くのインストゥルメンタル、フォーク、ジャズ、クラシック、アンビエント、自然チャンネルで国際的になりました。

「やがてCalm Radioは、人々がストレスを解消し、音楽を通じてより健康的で前向きな気分を見つけるのを手助けする場へと発展しました」と彼は言います。

それで、1761年のベン・フランクリンの楽器の発明、その最終的な没落とゆっくりとした復活、バークリーでのエリック・ハリーのガラス楽器の熟達、1980年代のフィンケンベイナーによるアルモニカの再製造、そして世界最大のアルモニカを作るというエリックの決断、Calm Radioはこれらすべてと繋がっています。すべての点が繋がったようですね。

彼の最先端のアルモニカで再び映画の音楽スコアの世界に戻ることを計画しているかどうかを尋ねられて、エリックはこう答えました:

「いいえ。でも間違いなくこの楽器を使ってもっと作曲をしたいと思っています。でも商業的にではなく実験的に。新古典的な、平和的なスタイルで - 今真心からビオラ・ダ・ガンバを弾いているように。ピアノソロを作曲している時にも同じでした。次はガラス製のアルモニカのために作曲し、それをCalm Radioでストリーミングするのが理想です - リラックスしていて超越的なこの音楽は、ベン・フランクリンが最初にこの楽器を発明し、気に入った理由でもあります。私たちの睡眠チャンネルにもアルモニカのバージョンを載せるでしょう。人々には朝にそれを聴きながら起きてほしいです。ちょうどフランクリンの妻デボラのように、彼らは天国にいると感じることと思います。もちろん象徴的な意味ですが。」

エリック・ハリーは献身的かつ満足しているようです。「最近誰かが、私がガラスアルモニカの副作用を経験してはいないかと尋ねてきました。私は「はい」と答えました。私は、それは最高に心地よく、自然で、正弦波のように純粋で、本当に癒されます、と言いました。そしてそれは、私が私の音楽と人生にいて欲しいと願う姿でもあります。」

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© 2018 Steve Meixell

ガラスアルモニカ、素晴らしい楽器ですhttps://www.youtube.com/watch?v=BdtLK9pAh5k

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